インド、バラナシでのこと

今回はインドの人の死に直面したときのお話しです。
こういう話が苦手な人は、
今日の記事は読まない方がいいかもしれません。



さて、インドのバラナシというところは、ガンジス川のほとりにある町で、
聖地として有名な場所です。

インドの人は死んだら火葬をして、
そして、その灰をガンジス川に流して、
お墓は作らないのが一般的なやり方だったりします。

死んだらすべて終わりでなく転生するという考え方なので、
亡くなった本人も遺族も遺骨への執着がまったくないわけです。

それでも「いい転生をしたい」という気持ちはあるので、
人生の最期に聖地にやってくるということのようです。

その場所がバラナシで、インドの人たちは
自分に死が迫ってきていることを感じたら、
バラナシに自ら赴くということは、
私も本なんかで読んである程度は知っていました。

私がそのバラナシに行ったのは、
インドでも一年でもっとも暑いとされている、6月のことでした。
バラナシに着いた夕方、私はダンナとふたりで、町をぶらぶらしていました。
暗くなりかけても、多くの人が町を行き交っていたのを覚えています。

その中で、私はふとひとりの老人の姿が目に入りました。
サドゥと呼ばれるヒンドゥー修行者の格好をしていたので、
お遍路さんみたいにどっかからやってきたのだと思っていました。

フラフラと杖をつきながら、
一生懸命にガンジス川に向かって歩いているその老人は、
川が見えると、その道路の一角でゆっくりと横になりました。

インドの6月は、日中になると、
ときには気温が50度にまで上がることがあるくらいの暑さです。
暗くなって気温が少しは下がるとはいっても、
ぐっすり眠れるような陽気とはいえません。

そのため多くのインド人は、家の中で寝るより、
外に出て、気ままにその辺に寝る人がたくさんいます。
なので、その老人が道路に横になっても、
それがまったく普通の風景になってしまっているので、
はじめはさほど気にもなりませんでした。

ただ、よく見るとその人は汗をかいていて呼吸も荒く苦しそうでした。
それでちょっと心配になったのですけど、
目が合うと本人がなぜか笑顔を向けてきて、
それから道を行き交う人も誰ひとりとして
その老人のことを心配する人がいないので、
私たちもなにもできずにその場から離れるしかありませんでした。

次の日になり、私たちは明け方5時くらいからホテルを飛び出し、
町の散策をはじめました。
6月のインドの日中は、日本人の私たちには、
とうてい動き回ることができない暑さなので、
涼しいうちに町を見学しておきたかったからです。

すると、ゆうべ見かけた老人が、
ゆうべと同じところに横たわっている姿が目に入りました。
でもよく見ると、その老人は、眠っているのではなく、
その場ですでに亡くなっている感じで、
まわりにたくさんのハエが集まっていました。

私はしばらく何ごとが起こっているのか理解できないまま、
呆然とその老人の様子をながめているしかありませんでした。

すると、道を行く人たちは、横たわっている老人に、
誰もが小銭を落として手を合わせていくのでした。

普段のインドは、みんなが貧乏で、
盗みなんて日常茶飯事のことだったりします。
小銭がこんなに落ちていれば、
いつもなら誰かが盗んでいって当たり前だという感じなのに、
その時は違っていたのでちょっと驚きました。


そして、何時間かして、小銭がある程度たまると男性たちがやってきて、
老人を布でくるんで運んでいきました。

そばにいたインド人の説明によると、
老人は望みどおり聖地で亡くなって荼毘に付されるということで、
みんながあげていた小銭は火葬の費用になるそうです。

ちなみに、バラナシでは
どうやら、こんな光景は日常茶飯事のことだということです。

遠くの地からバラナシを死に場所に選んでやってきた人が、
そこに横たわり、亡くなると、
見ず知らずの通りがかりの人たちがお金を出し合うのです。

そして、火葬するお金が貯まれば、火葬場の人がきちんと火葬をして、
最後にはガンジス川に流すのだそうです。

その時には、誰ひとりとして、お金を盗むものがいないどころか、
普段は泥棒をやっている人でさえも、小銭をおいていくということでした。

インド人の宗教心の深さというか、そんなものを感じました。

私がいまでも覚えているのが、前日に目が会ったときの老人の笑顔です。
苦しそうだったけどうれしそうであったのは、
きっとその場所で死ねることが老人にとって最高の幸せだったということなのでしょう。

死に顔も安らかで、はじめは眠っているとしか思えないくらいだったから、
本人にしてみれば最高の「人生の最期」だったにちがいありません。

ガンジス川は、インドの宗教であるヒンドゥー教の最高神である
シヴァ神が作られた川だといわれています。
輪廻転生を信じている彼らにとって、ガンジス川に流されるということは、
シヴァ神に次の生まで運んでもらえるということになるのかもしれません。

そこまで真っ正面から死に向き合っていける彼らに、
私は心のどこかで、いつも「うらやましい」と思っています。
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Comments 2

sorairobook  

himikaさん,こんにちは(*'-'*)
う~ん...この話,なんだかじ~~~んときます.
最後に人に笑顔を向けられる生き方ってすごいです.

2005/11/25 (Fri) 18:09 | EDIT | REPLY |   

緋彌華(himika)  

コメント、ありがとうございます♪
生きていく価値観って、ほんとに国によって、まったく違ってます。
特に、宗教を否定している日本と、宗教が完全に生きる指針になっているインドやチベットでは、すべてにおいての価値観が違ってます。
どちらが幸せなのかは私にはわかりませんが、私も死ぬときには微笑みを浮かべて死んでいくことができるような人生を送りたいなとおもいます。

2005/11/25 (Fri) 18:09 | EDIT | REPLY |   

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