「三苦」について

05100225.jpg

最近「三苦(さんく)」というものについて考える機会がありました。
今日はそのことについて書いてみたいと思います。

「三苦」とはお釈迦様の教えです。
この世のすべての事象は、
この三つの苦しみに分類されるというものです。

つまり、この三つの苦しみというのは、
苦しみの根源のようなものというのです。
数字でいえば、それ以上は割り切れない「素数」のようなものです。
色でいえば「原色」のようなもので、
そこからすべてが造り出されていると解釈されます。

じつは、「三苦」について書こうと思ったとき、
ネットでいろいろ検索して調べてみました。
でも、わかりやすく書いてあるものは
ちょっとすぐにはみつけられませんでした。

一番わかりやすいと思ったのは、
広辞苑に載っていた解釈です。
とりあえずそのまま引用します。

[仏]苦苦(くく)すなわち苦の縁から生じて受ける苦と、壊苦(えく)すなわち楽事が破れて受ける苦と、行苦(ぎょうく)すなわち無常の流転から受ける苦。


広辞苑の説明は、
私が以前に教えてもらった三苦の説明の中で
もっとも心の深い部分に響いた教えと一致しているものでした。

でも、これだけだと、ちょっと分かりづらいと思うので
もう少し説明してみますね。

苦苦(くく)すなわち苦の縁から生じて受ける苦

これは痛みとか等のそれそのものが苦しみであるという
根本的な苦しみを表します。

壊苦(えく)すなわち楽事が破れて受ける苦

これは、どんな幸せな状態も壊れてしまうものということ。
たとえば、とてもステキな恋人ができても
時間がたてば恋の感情は消え失せ、別れが訪れてしまったり、
例え、別れがなくて結婚し、一生幸せに連れ添うことができたとしても
人には必ず訪れる死というものにより、やはり別れが訪れて
苦しみが生じるという意味合いになります。

行苦(ぎょうく)すなわち無常の流転から受ける苦

三つ目のこれが一番、分かりにくいかもしれません。
この説明には以前に書いた記事のイティハーサと真我のお話の中から
下の方にある<真我と三グナのお話>の内容と関わってきます。
(くれぐれもイティハーサの部分は関係ないです。)

私たちの魂は、本来の私たちの姿である真我の状態が
もっとも完璧ですばらしい状態だと考えられています。
にもかかわらず、三グナに惑わされ、
自分たちよりすばらしいものを追い求め、
転生という流転を続けているというのが
仏教やヨーガの基本的な考え方です。

しかし、どんなに求めても求めても
あるはずのないものを求めているわけだから、
何もみつけることはできません。
そこで、さらに流転を繰り返すことになるわけです。
でもって、仏教でいうところの「行」というのは、
このように求めながら経験を繰り返すことをいうようです。
そこで「行苦」というのは、
求めても求めても得られない苦しみ
と考えるとわかりやすいようです。

そして、お釈迦様は、
すべての事象はこの三つの苦しみなのだから、
この世界から離脱し離れなさいと説かれたといいます。
同時に、この世界から離脱し離れるための方法を
教えとして残されたというわけです。

これが、私の知りうる三苦のお話です。
関連記事

Comments 2

ふう  

どんなに求めても求めても
あるはずのないものを求めているわけだから、
何もみつけることはできません。

↑この言葉、心にのこりました。
真理もたぶんそうなのですね。
もともとあるものを感じるしかないですよね。。。

2006/03/06 (Mon) 12:24 | EDIT | REPLY |   

緋彌華  

>ふうさん
もともと持っているものが何なのかというものを
漠然とでも感じることのできる私たちは
ほんとに幸せな魂と言えるんだなと
そんなことを思いました。
でも、まだまだ物欲は消え去りませんが。。。

もともとあるものを、もっと強く感じることができるために
努力していきたいです。

2006/03/06 (Mon) 13:15 | EDIT | REPLY |   

Leave a reply