
少しの間だけ、実家の福井にひとりで帰っていました。
ネコがいるので、ネコを一緒に連れて行かない限りは
家を留守にするわけにいかないので、
ダンナさんはネコと留守番でした。
今回の帰省では、ちょっとした発見があったので
少し書き記しておこうかと思います。
実家に帰ると、私はいつも和室の客間に寝ています。
去年までは、この家に来たときは、
一人でその部屋にいるのが怖いと感じていました。
実家には、年金生活の両親と、10年と少し前に
ある事故で、他人の介護なしでは生活できなくなり、
入退院を繰り返している二つ違いの弟の三人が暮らしています。
私が感じていた恐怖は、
そんな家族のこれからの生活の不安に加えて、
古びた壁や天上のシミのひとつひとつに、
家族がそうなるまでに至ったプロセスのすべてが
刻み込まれているように感じ、
それが、私の心の深い部分に入り込んでくるように
思えていたからなのかもしれません。
でも、今年は、そんな気持ちになることは
まるでなかったのです。
それどころか、心にはいつも光を感じることができて、
ありのままの現実を、素直に受け入れている自分がいたのです。
不思議ですね。
何かを特に意識してそうなっていたわけではなく、
自然とそんなことができる自分がいたのです。
感じていた光は、白銀とピンクでした。
白は浄化の色、ピンクは無条件の愛。
オーラソーマを続けているうちに
今までは受け入れられなかった現実を
いつの間にか、ありのままに
受け入れられるようになっていたのですね。
もっとも今までは、そんな現実を
自分自身が受け入れていないという意識すら
なかったのですけども。。。
そして、今まで起こったことは、
すべてが私たちに必要だったから起こっていたのだと、
それによって、ただ平和に過ごしていただけでは
気づけなかったことも、気づきとして受け取ることができたし、
何より、ありのままを受け入れることで、
心が強くなれたような気もして、
感謝の気持ちすら出てきたのでした。
そうすると、母と話をしているうちに、
今度は、私自身の赤ん坊の時のことが、
(もちろん、すべてではなく一部ですが)
ありありと、その光景を思い出すことができるようになったのです。
まだ歩けなかった頃、
母は私をおぶってパートに行っていたのですが、
その時、そのパート先の人たちに、
とてもかわいがってもらったこと。
ハイハイからようやく立ち上がることができた頃、
大好きな音楽がラジオから聞こえてくると、
頑張って起き上がって、嬉しくて踊っていたこと。
等々、等々……。
不思議なことに、子供の時は、
嬉しくなると、その感情と一緒に
まわりの風景も光であふれていたのだと、
逆に悲しいときは、光が少なくなって
視界が暗くなっていたのだと、
そんなことも一緒に思い出されてきたのでした。
もしかしたら、記憶というものは、
自分をありのままに受け入れることができるようになると、
蘇ってくることもあるのかななんて、
そんなことを感じたのでした。
自分を否定していると、
その辛かった記憶をすっかり消し去ってしまう人の話は、
今までも時々、聞くことは多かったのですが、
同時に、楽しかった記憶までも封印してしまうものなのですね。
少しずつですが、オーラソーマの大きな課題の一つである
ありのままの自分を愛するということができてきたのかなと、
そんなことを感じることができた嬉しい出来事でした。
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去年までは、この家に来たときは、
一人でその部屋にいるのが怖いと感じていました。
実家には、年金生活の両親と、10年と少し前に
ある事故で、他人の介護なしでは生活できなくなり、
入退院を繰り返している二つ違いの弟の三人が暮らしています。
私が感じていた恐怖は、
そんな家族のこれからの生活の不安に加えて、
古びた壁や天上のシミのひとつひとつに、
家族がそうなるまでに至ったプロセスのすべてが
刻み込まれているように感じ、
それが、私の心の深い部分に入り込んでくるように
思えていたからなのかもしれません。
でも、今年は、そんな気持ちになることは
まるでなかったのです。
それどころか、心にはいつも光を感じることができて、
ありのままの現実を、素直に受け入れている自分がいたのです。
不思議ですね。
何かを特に意識してそうなっていたわけではなく、
自然とそんなことができる自分がいたのです。
感じていた光は、白銀とピンクでした。
白は浄化の色、ピンクは無条件の愛。
オーラソーマを続けているうちに
今までは受け入れられなかった現実を
いつの間にか、ありのままに
受け入れられるようになっていたのですね。
もっとも今までは、そんな現実を
自分自身が受け入れていないという意識すら
なかったのですけども。。。
そして、今まで起こったことは、
すべてが私たちに必要だったから起こっていたのだと、
それによって、ただ平和に過ごしていただけでは
気づけなかったことも、気づきとして受け取ることができたし、
何より、ありのままを受け入れることで、
心が強くなれたような気もして、
感謝の気持ちすら出てきたのでした。
そうすると、母と話をしているうちに、
今度は、私自身の赤ん坊の時のことが、
(もちろん、すべてではなく一部ですが)
ありありと、その光景を思い出すことができるようになったのです。
まだ歩けなかった頃、
母は私をおぶってパートに行っていたのですが、
その時、そのパート先の人たちに、
とてもかわいがってもらったこと。
ハイハイからようやく立ち上がることができた頃、
大好きな音楽がラジオから聞こえてくると、
頑張って起き上がって、嬉しくて踊っていたこと。
等々、等々……。
不思議なことに、子供の時は、
嬉しくなると、その感情と一緒に
まわりの風景も光であふれていたのだと、
逆に悲しいときは、光が少なくなって
視界が暗くなっていたのだと、
そんなことも一緒に思い出されてきたのでした。
もしかしたら、記憶というものは、
自分をありのままに受け入れることができるようになると、
蘇ってくることもあるのかななんて、
そんなことを感じたのでした。
自分を否定していると、
その辛かった記憶をすっかり消し去ってしまう人の話は、
今までも時々、聞くことは多かったのですが、
同時に、楽しかった記憶までも封印してしまうものなのですね。
少しずつですが、オーラソーマの大きな課題の一つである
ありのままの自分を愛するということができてきたのかなと、
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