虹色の空~Nijiiro no Kuu~

箱根仙石原でオーラソーマと呼ばれるカラーセラピーの自宅サロンを開いています

本当の自分

08092003.jpg

昨日は、「女優、そして演じること」というタイトルで日記を書きました。
その中で、本当の自分探しのことをタマネギ例でお話ししたのですが、
反応してくださる方は、反応してくださったものの、
もしかしたら、ほとんどの人には、逆に分かりにくくなってしまったかな、
と後で読み返して思ったので、もう少し書き加えておこうかと思います。

昨日の日記はこちらです。
>>女優、そして演じること

何かを演じている自分は、本当の自分ではないから、
本当の自分を見つめるために、
まずは演じている自分の皮を剥いてみる。
でも、剥けば剥くほどに、どこまでが演じている自分か分からなくて、
というよりも、どの自分も、突き詰めて見つめてみると、
何かを演じている自分に過ぎないと
感じることさえもあるんじゃないかと思えて
皮を剥き続けていくうちに、最後には、
タマネギを最後まで剥いてしまったときのように
何も残っていなかった、ということになりそうだというお話でした。

でも、そこに、何も残ってなくて、いいんじゃないかって思います。

すべてを剥いてしまった後に、そこにあるのは、
透明な光である私たちが存在しているような気がします。

私たちは、透明な私たちに戻るために、ここに存在し、
そして、いろんな経験をさせられているのだと思うのです。

愛が必要なのは、本当は、私たちは、
ひとつの透明な光から来た存在で、本当はすべてがつながっていて、
すべてがひとつだから、それを思い出すために、愛が必要なんだと思います。
そして、それを思い出し、たどり着くことができたときには、
もしかしたら、そこには愛しかないのかも、なんて思えるのです。

よく仏教などでも、自と他の区別は必要ないというようなことを耳にしますが
それは、自と他の区別をつける心の働きというのは、
本当の私たちから、遠いことだから、のような気がします。

なんだか、具体的に書くつもりが
今日は、さらに抽象的なお話になってしまいました。。。

でも、タマネギの皮を剥くように、演じている自分を剥いていく、
そして、自分だと思いこんでいるものを、剥いてしまった先にあるのは、
こういうものなのなんだろうなと思えて仕方がないので、書いてみました。


ここまで読んでいただいてありがとうございます♪
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2 Comments

まるるん  

お久しぶりです。

仏教では、「清浄」というのは穢れている・いないということではなく、自他の区別をつけないというのが、本来の意味だという説明を読んだことがあります。
確か、「理趣経」の一般人向けの本で(なんせ文庫本でしたから)、いろいろ言われている「清浄句」の部分の説明の、最後のほうにあったと思います。

確かに、穢れというのは表層にあるもので、本質ではないはずですね。

そして、自他の区別がないのが、愛の本質なのだと思います。
捧げるのでもなく、奪うものでもない。

逆に言えば、自分を本当の意味で愛することができたときに、初めて他の人をも、分け隔てなく愛せるのかも知れませんね。

2008/11/14 (Fri) 12:21 | EDIT | REPLY |   

緋彌華  

>まるるんさん、こんにちは♪

まるるんさんのコメントは、驚くほど専門的なのに
少しも嫌味がないどころか、感じがよいお話ばかりで
いつも感心してしまってます♪

>そして、自他の区別がないのが、愛の本質なのだと思います。
>捧げるのでもなく、奪うものでもない。

本当にそうですよね。
愛は捧げるものでも、奪うものでもなく
本当は、ただ、そこに在るもの、なんだと思います。

本質的に、すべてがひとつであるなら、
他を痛めつけたりすることは、自分を痛めつけることと同じことですものね。

自分を、ありのままに受け入れ、受容すること、
もしかしたら、これが本当にできたら、
本質的な何かが分かってくるのかもしれないですね。

2008/11/15 (Sat) 09:35 | EDIT | REPLY |   

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