仏教と引き寄せの法則

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大乗仏教の中にある唯識(ゆいしき)思想の考え方の中に
「存在するものは、すべて心の表れ」というものがあります。

私たちの見ているもの、聞こえているもの、感じているもの、
それらはすべて、私たちの心が作り出しているものであって
実態はないのだと。

たとえば、誰かに何かを言われたとして、
それが、大抵の人には不快に感じるものだとします。
そこで、それを嫌なものだと感じてしまうと、
そこに苦しみが生起してしまうけれども、
その言葉に何も感じなければ、そこには苦しみは存在しません。
逆に、何を言われても、その人と話しているだけで楽しいと感じれば、
そこは、苦しみどころか、喜びと光にあふれた空間にさえなり得るのです。
感じる心の違いによって、はた目には同じ状況であったとしても、
全く違った結果が生まれてくるということです。

これは、ほんの一例で、唯識思想は、
苦しいとか楽しいとかの感じる気持ちだけではなく、
すべての存在が、心が作り出した幻影なのだと言っているのですが、
そこまでいくと、ちょっとピンと来にくいかもしれませんね。

ただ、最近よく耳にする、引き寄せの法則が
こういう考え方を元にしているのだとしたら、
私にとっては、引き寄せの法則が
理論的にもわかりやすい法則だな、なんて思ったりもします。
もちろん、本当にこの法則が仏教の唯識思想を元にしているかは、
ほとんど引き寄せの法則について詳しくない私には分からないのですけど、
そうでないとしても、宇宙の大原則を受け取ることができるならば、
地球のどこにいようとも、同じような理論が生まれることには
なんの不思議もないことですものね。

唯識思想では、すべては心が作り出した表れであるとしています。
一方、引き寄せの法則では、
いつも楽しいことを意識の深いところから感じることができれば、
楽しいことや幸せが、たくさん自分の周りに引き寄せられてくる、
ということになるようです。

でも、楽しいことを、いつも深い意識から感じるなんて、
普通の人には、そんなに簡単にできることではないですよね。
やはり、ちょっとしたことで、不安になったり、悲しくなったり、
否定的になってしまったり。。。
それは、人として生きている上で、当たり前のこととも言えると思うのです。

でも、そういうときには、やはり仏教の
徳の理論が役に立つかな、と思います。

仏教では、功徳と言われる、良い行いをし、良い言葉を発し、
良い心の働きを、いつでもできる人を、徳の高い人と言います。
逆に、悪しき行いをし、悪しき言葉を発し続け、
悪しき心の働きをする人を、カルマの悪い人とか、
徳のない人と言います。

この徳がたくさんあると、その人の心は光にあふれて、
深い意識の部分から、喜びが込み上げてくるようになるのです。
だから、そういう人は、何もしなくても
自然にいいことが、いつも訪れてくるのかもしれないですね。

だから、何かの時に願い事をするときも、
自分のエゴを満足させることだけを願うのではなくて、
自分の周りの人たちや、たくさんの人の幸せを願うことで、
心の徳が積めて、その人には、
喜びがあふれてくるようになるのです。

ちなみに、あまり自分のエゴばかりを満足させていると、
せっかく積んだ徳が減るとも言います。
ましてや、他の人を引きずり落として、
自分だけが幸せになりたいなんて願ったりしようものなら、
かなりの徳をすり減らすことになってしまいます。

徳と貯金は同じようなもので、積めば増えるし
使えば減ってなくなってしまうものです。
そして、徳がなくなると、光もなくなり、
喜びを感じることも少なくなってしまうのです。

だから、自分だけではなく、人の幸せを願うということは、
何よりも自分自身が幸せになれる行為だということになるのです。


と、本当は、唯識思想から、仏教で言う
空の話を書きたいと思っていたはずなのですが、
マスターを意識しながら書いていたら、こういう話になってしまいました。
私自身、難しい話をする前に、
もっと徳を積みなさいということのようですね。^^


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