セーリー物語 その6 『勘違い』

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予定外に、サリーちゃんのことを長く書いてしまったのですが、
今回からは、せーりー君のことに話を戻したいと思います。

前の記事で、サリーちゃんほど肝の据わったネコは
後にも先にも見たことがないというようなことを書いたと思います。
とはいっても、私は、そんなにたくさんのネコと接したことがあるわけではないので、
本当は、サリーちゃんのようなネコは、意外にたくさんいるのかもしれません。
でも、まあ、そういうことはさておいて、せーりー君にも、こんなネコは後にも先にも
せーりー君しか見たことがないという部分がありました。
それは、ひょうきんさです。
大人になってからは、寝てばっかりになってしまったので、
そのひょうきんさは、あまり見えなくなってしまいましたが、
子供のときは、本当にネコってこんな部分があるものなんだと
驚かされたエピソードが幾つかありました。

例えば、子供のときのせーりー君は、なにかを訴えたいときとか、
「にゃー、にゃー」と鳴きながら走り寄ってくることがよくありました。
ある時は、2階から階段を駆け下りながら、にゃー、にゃー鳴いて来ました。
すると、人間でも、階段を駆け下りながら声を出すと、
声が振動で ビブラートのように震えるではないですか。
せーりー君の鳴き声も、そんな感じで、「にゃーー」が「んに"ゃ~~」のように
震えるのを自分でも認識できたらしく、そうなったらおもしろがって、
また階段を上まであがって、再び鳴きながら階段を下りるということを、
4,5回繰り返していたことがありました。
変わった遊びをするネコだと、私はその様子を最後まで観察していました。(汗)

また、サリーちゃんが来たばっかりのときは、よほどサリーちゃんが気に入ったみたいで、
いつもせーりー君はサリーちゃんにつきまとっていました。
ただ、せーりー君とサリーちゃんは、微妙に鳴き方や鳴き声が違っています。
今まで聞いたことがないようなサリーちゃんの鳴き声を、
せーりー君は、とても珍しく思ったのか、せーりー君がトイレに行く途中と、
そして、用を足しながらも、「ふんぎゃ、ふにゃー、ふにゃにゃー」みたいに、
しきりにサリーちゃんの鳴き方を真似して練習していました。
それはまるで、かわいい子をナンパして調子に乗って喜んでいるおっさんのようでした。
物まねをするネコというのも、私はそのとき初めて見たような気がします。

せーりー君の物まねは、ネコに対してだけではありませんでした。
ある時、私が洗面台で歯を磨いてうがいをしているとき、
せーりー君は、洗面台の上に乗って、その様子を見ていました。
私が水道の蛇口をひねって水を出すと、
せーりー君は、自分の肉球を水道の流れる水に浸したかと思うと、
そのまま肉球を自分の口の所まで運ぶという行為を、何回か行っていました。
私はいったい何をしているのだろうと不思議に思って観察していると、
どうやら水道の水を、肉球で汲んで飲もうとしているのでした。
なんでそんなことをするのか、よく考えてみたら、
私はいつもうがいをするときはコップを使うのが面倒なので、
手のひらで水をすくって、それをそのまま口に運んでいたのですが、
どうも、その真似をしているようなのでした。
でも、せーりー君の肉球は、いつもパーに開いたままなので、
何回やってもうまくいくはずもなく、最後はあきらめて走り去っていきました。

そして、もうひとつ、とっても印象に残っていることがあります。
初めてせーりー君を連れて、夫と3人で私の実家に泊まりがけで
お出かけをしたときのことでした。
それまでは、前にも書いたように、私たちが寝ているときは、
せーりー君を見ていることが出来ないので、せーりー君にはケージに入って
寝てもらっていたのですが、実家に帰っては、私たち3人でひと部屋しかなく、
そこにはケージが入る余裕はありません。
そして、その部屋には、張り直したばかりの障子以外には、危険を感じるものはなかったので、
寝るときは、せーりー君に「好きなところで寝ていいよ。」と言って眠りにつきました。

最初は、せーりー君は、ほんとにいいの?みたいな感じで、そーっと足下に寝ていたのですが、
夜中に目が覚めると、私のすぐ横で、せーりー君が掛け布団から顔だけ出して、
上を向いて並んで寝ていました。
それは、私がその時、寝ていた姿勢とまるで同じ格好でした。
夜中なんですが、それを見て、思わず吹いてしまったのは仕方がないことだと思います。
ネコがそんな格好って辛くないのかせーりー君に聞いてみたのですが、
きょとんとした顔をして、こちらを向いているだけでした。
けっきょく、その日は、朝までそのまま寝ていたようです。

せーりー君の、そのひょうきんな情熱に負けて、家に帰ってからも、
それからは、ケージではなく、一緒に寝ることになったのでした。

最初は、この二つのエピソードは、
せーりー君のひょうきんさからやってるのかと思ってたのですが、
ある時、ふと、もしかしたら、せーりー君は、自分が人間だと思ってるのかもと
思うようになってきました。きっと大人になったら、私たちと同じように
二足歩行で歩いて、人間になるんだと考えているように思えて仕方がありませんでした。
そう考えて行動を見ていると、確かに、それが思い当たる行動が節々に見えてきました。

でも、そんなせーりー君の、大人になったら人間になるという思いが、
本当は勘違いなのだと分かった瞬間があったようなのです。
それは、せーりー君が2歳くらいの時だったと思うのですが、
人間の全身が見える鏡を、ある時、買って帰りました。
床からすぐに鏡になっているので、せーりー君もその前に行けば、
自分の姿を見ることができます。
玄関にその姿見を置いておくと、せーりー君は、一日のうちの何時間かは
その鏡の前でたたずんでいました。
それが何日も続くので、最初のうちは、せーりー君ってナルちゃんなところが
あるんだろうかと思っていたのですが、
見終わった後は、いつも、なにか寂しそうに、鏡の側から走って離れていくのでした。

そんなある時、せーりー君の感情が、ドンッと私に入ってきたような気がしたときがありました。
それは、「ぼく、サリーちゃんや、外に歩いているようなネコだったんだ~。」
というような感情だったのです。
私に、その感情が入ってきたときには、すでに、あきらめと開き直りも感じたのですが、
それでも何か寂しそうで、ちょっと不憫に感じてしまった一瞬でした。

『チベットの死者の書』などを読むと、魂は、
天界、阿修羅界、人間界、動物界、餓鬼界、地獄界を
そのカルマ(成したことが返ってくること、業)に応じて転生するとされています。
せーりー君たちを見ていて感じたことは、
人間に生まれるのも、動物に生まれるのも、それほど差はないのではないかということでした。

チベット死者の書は、何冊も出ていて、私自身、その何冊かを読んでいるので、
具体的に、どの死者の書に書いてあったことかは、すぐには分からないのですが、
確か、人間と動物との違いは、宗教観を持っているかどうかと書いてある項があったと思います。
それ以外にも、幾つか項目があったとは思うのですが、
実際には、姿形はずいぶんと違っても、人間と動物って、感情的な部分は本当に近いんだなぁと、
せーりー君を見ていると、そう思うことが多かったなと思います。

ずっと以前に、テレビなどで、前世療法をやっている人の話を聞くと、
人間は人間にしか生まれないと言い張っている人もいたのですが、
でも、やっぱり、こんなに感情的な部分が近い人間と動物は、
チベットで言われているように、同じ魂が転生していても不思議じゃないなと思うのでした。


今回は、ちょっと、ほのぼのとしたエピソードを中心に書きましたが、
次回からは、もしかしたら、重くなるかもしれません。



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