供養の瞑想の意味について

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仏教では、私たちの苦しみの根本を、
大きく三つに分けることができるとしています。
それを、三苦(さんく)と呼びます。
三苦については、ずっと以前に書いたものがあるので、
ちょっと言葉が乱暴なところもありますが、参考にしてみてください。
>>三苦について

ですが、とりあえず、その内容を、ここでも簡単に書いておきます。
まず、三苦とは、「苦苦(くく)」、「壊苦(えく)」、「行苦(ぎょうく)」
の三つがあります。

その中の苦苦とは、痛みなど、それそのものが苦しみであるものを指します。

壊苦とは、いままで幸せだったと感じていたことが壊れていったときに
感じる苦しみを指します。

行苦とは、求めても求めても得られないことの苦しみを指します。

小乗仏教では、この世のすべての事象は、
この三つの苦しみに、繋がっていくと説いています。

こうして、
「この世のすべては苦しみである。
だから、そこから離れなさい。」というわけです。

ただ、そこから離れろと言われても、
これらのことを頭で理解することも難しければ、
頭では理解したとしても、普通に家族を持って生活している人にとって、
そこから離れるなんて、とうてい出来ることではありません。

しかし、この三つの苦しみの根本に
執着心があることを理解すれば、
その執着から離れることをすればいいとなります。

たとえば、苦苦においては、肉体に対する執着があるから、
痛みなどで苦しみが生じる事が理解できますし、
壊苦においては、そこで生じている幸せに執着するから、
それが壊れたときに苦しみが生じる。
行苦では、何かを求めること自体が、執着と言えます。

ただ、やはり、その執着も、やたらに手放してしまうと、
へたをすると、何ごとにもやる気のない、無能な人になってしまって、
現実生活が困難になってしまうことにもなりかねません。

また、いま現在、執着して止まないものを、
すぐに手放せと言われても、出来ようはずがありません。

執着を離れるという教えは、2500年前のお釈迦様の時代には、
比較的、頑張れば出来たことだったかもしれませんが、
現代においては、特に普通の生活を送っていると、
とても困難なことになってくるような気もします。

でも、それでも、それらを自然な形で、
私たちに可能にしてくれるかもしれない方法が、
供養の瞑想ということになるように思います。

その時の、供養する対象となるのは、
この宇宙の根本の法則を理解し、
そして、その苦しみの原因を作っているこの世界から、
慈悲心を持って、離脱させようとしてくれている
仏陀や菩薩、または諸天の方々ということになります。

とてもわかりやすくて、誰もが知っている方では、
お釈迦様とか、千手観音菩薩とかになるでしょうか。

そういった方々に、自分の大切なものや人、
それら執着の対象となるものを、供養していくことによって、
心が自然に軽くなってくることと思います。

そうして、その供養法と、供養する対象が正しければ、
その執着が、単に自分のエゴではなく、
相手に対する慈悲というか、
思いやりに変わってくるようにも思います。

たとえば、自分のエゴによって、相手に執着をしている場合、
相手が自分の思い通りにならないときには、
そこで苦しみが生じてきます。
そうして、自分の思い通りにしようとすればするほどに、
相手は、自分から、どんどん離れていってしまうことでしょう。

しかし、そこで、エゴからくる執着を手放すことが出来れば、
そこには無条件の愛が生じて、
まずは、自分のエゴを通すことではなく、
相手の幸せを一番に願うことが出来るようになってくるはずです。

そうなってくれば、例え相手が自分の思い通りにならなくても、
そこで苦しみが生じてくることなど、ないことでしょう。

そして、それを可能にしてくれる瞑想のひとつが、
供養の瞑想ということになります。

その瞑想は、瞑想のための作法を組んで行うものも、
もちろん、ありますが、
それ以外にも、前に書いたように、スーパーなどで、
美味しそうと思ったごちそうでもいいし、
感動した曲でもいいし、
その時々に、心に響いたものを、
仏陀や菩薩や神々に、供養していく方法は、とても有効だったりします。

大切な人を瞑想で供養することも、もちろん、とても素晴らしいことですが、
日常の中の些細なことの中から、執着の対象となるものを、
ひとつひとつ供養していくことも、とても有効です。

ただ、その時に気をつけないといけないのが、
周りから危ない人と思われない態度かな、とは思います。(笑)

でも、いつもやっていれば、短い時間で、
自然な仕草でやってしまえるようになれるので、
実践したい人は、いろいろ工夫してやってみてください。

それが、なかなか出来ないときは、やはり、感動したことなどを、
家でひとりで静かになれる場所まで持って帰って、
そこで、瞑想を行うという方法でも、まったく問題はありません。

一番大切なことは、時や場所ではなく、
心を込めて、供養を行うということだと思いますから。



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