クセを見つめること

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いま、他のブログを作って、ちょっと遊んでいるのですが、
(内容は、あまりにもどうでもいいことばかりのブログなので、
リンクは無しですが。。。苦笑)
そこのブログネタで、ラーメンを食べるときは、
ひとくち目は、スープか麺か具か、というのがあって。。。

これを見たとき、私は、ラーメンは大好きなはずなのに、
どれから食べるかなんて、意識したことがないことに気がつきました。
でも、よーく思い出してみると、必ずスープから食べてるんですよね。

これって、完全に無意識からやっていることで、
いわゆる『クセ』というやつかな、って思います。

いままで私は、できるだけ、自分が行ういろんな行動は
無意識にするのではなく、意識して行っていこうと、
いつも考えていただけに、大好きなラーメンを食べるときは、
無意識の行動をしていたんだって気づいて、
ちょっと、ショックでした。(笑)

ラーメンを、なにから食べるかということ自体は、
実際はどうでもいいことなのですが、
自分の行動のクセを意識するということは
とても大切なことなのではと、よく考えています。

もうちょっと、突っ込んでいくと、自分の行動だけではなく、
発する言葉や、なにをどう思うか、感じるかという心の働き。
それらのことを、常に意識していくことで、
自分の『カルマ』というものが、自分でもよく見えてくるのではと、
そんな風に常々思っています。

カルマというのは、自分が成したことが自分に返ってくるという
日本で言う、因果応報の法則のことですね。

いろんな事象には、必ず、それが起こるための原因があって、
それが起こる条件が整ったときに
結果として、その出来事が起こってくる。

もっと簡潔に言えば、
「善をなすものは善生をうけ、悪をなすものは悪生をうくべし。」
となります。

それらを全部ひっくるめて『カルマ』とか『業』と言います。

ただ、このカルマというものを、
普段、なにも意識せずに過ごしていると、
自分に起こっている、いろんなことの意味が分からず、
ただただ、運命には逆らえず、
流されて生きていくことになっているのでは、と思います。

でも、ここで、自分のクセを意識して感じてみると、
自分のカルマが見えてくることがあるんですね。

さっきのラーメンの話は、とても些細な事なので、
ちょっと分かりにくいと思いますが、
もっと、顕著な例で考えてみるとわかりやすいかもしれません。

たとえば、ある対象が自分にとって必要なもので、
それは、それなりに価値のあるものと分かっているんだけど、
お値段がちょっと高くて、手が出せないと考えたとします。
でも、もう少し、よく考えてみると、
その時の自分に余裕がないわけではなく、そのお値段も、
他と比べても、高いわけでもなかったということがあったとします。

その人にとって、価値のあるものと分かっていても、
これ、高いなぁと、つい思ってしまうのは、もしかしたら、
その時だけではなく、いつも、そう考えてしまうことかもしれません。
いつも考えてしまうことだとしたら、
それが、その人にとっての、思考のクセなんですね。

たとえば、そんな風な思考のクセを放置しておくと、
もしかしたら、その人の貯金通帳には、
ものすごくお金が貯まっていくかもしれないけど、
その人にとって、本当に価値のあるものには、
なにも投資できずに、一生を終えてしまうこともあるわけです。

それは、あきらかに金銭に対する執着で、その執着は、
その人が気づかないうちに、心をどんどん重くしていくし、
場合によっては、その人の成長を止めてしまうことにもなりかねません。

これは、あくまでも、ひとつの例として上げているだけですが、
このときに、自分のついつい思ってしまう、
これ高いなぁ、という、なんてことのない思考のクセを
意識することができれば、次に同じ状況になったときに、
ただ意味もなく、貯金通帳の金額を増やしていくことではなく、
本当に大切なことに、大切なお金を使うことができるように
なってくるのでは、と思います。

その時に、もう少し意識をして、
その価値のあると思われる対象が、なぜ、そのお値段なのか、
ということも考えてみると、
確かに不当に高いときもあるかもしれなけど、
それに関わった人たちの努力や苦労というものが見えてきて、
そういったものへ、お金を払うんだと感じることができれば、
感謝の気持ちすら出てくることもあると思います。
そうして、本当に必要なことに対して、
快く手放しができるのではないかと思います。

もちろん、貯金することが悪いと言っているわけでは
決してありませんよ。
本当に必要なことに対してさえも、手放しができずにいたとしたら、
そちらの方が、ちょっともったいないのでは? と思ってしまうのです。

いま上げた例で、わかりやすかったかどうかは疑問ですが、
こんな風に、無意識に行っているクセを、
ひとつひとつ、ひも解いていくことで、
無意識という意識に、光を当てることになって、
いわゆる、『カルマの制約』というものを
ひも解いていくことにも繋がっていくように思うのです。

そして、それは、その人の可能性を
もっともっと、拡げていくことに繋がっていくことになるのでは、
とも思います。

こうやって、無意識の意識に光を当てていくことも、
ひとつの瞑想と言えるんじゃないか、とも思います。

なんてことを、今日一日、
「ラーメン、なにから食べる?」という質問から
考えてしまいました。(笑)



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Comments 2

江利  

自分のカルマが見えてくる・・。
私も無意識の意識、考えてみようと思います。


私は誰もいない部屋に帰ってきたときも、一人で食事していてもおいしければ「おいし~!」と言うし
「ただいま~!」と声に出すようにしています。
見えない誰かに伝えている・・・のだと自分では思っています。

2010/02/08 (Mon) 21:09 | EDIT | REPLY |   

緋彌華  

>江利さん、こんにちは♪

見えない誰かに伝えている・・・
ステキですね♪
声に出すと、感じたことや思っていることが、
よりリアルになるから、伝わり方も、
確実になっていくように、私も思えます♪

2010/02/09 (Tue) 14:48 | EDIT | REPLY |   

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