虹色の空~Nijiiro no Kuu~

箱根仙石原でオーラソーマと呼ばれるカラーセラピーの自宅サロンを開いています

チベットの恐怖の神々

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ちょっとボーッとしながら、光と影という言葉から連想を膨らませていたら、
チベットの平和の神々と恐怖の神々のイメージが出てきました。

といっても、なんとなく、今までの私個人の感覚では、
ニュアンスが少し違うように思う部分もあったのですが、
でも、よくよく考えてみると、恐怖の神々って、
もしかしたら、神々の影の部分にあたると言えるのかもしれないなぁ、
なんて、そんなことを考えたりしていました。


と、その前に、平和の神々と恐怖の神々と言っても、
知らない人もいらっしゃると思うので、簡単に説明しておきますね。

チベット仏教では、生あるものが命を終えた時、
その後、最長で49日間は、バルドーという
次の生までの中間状態を体験することになります。

その詳細は、ここでは書ききれないので省略しますが、
その時に、最初の何日間では、平和の神々と言われている、
とにかく美しくて優しい神々が次々に現れ、
私たちの魂を輪廻転生から解放し、浄土へと導こうとしてくれます。

しかし、まだまだ経験が少なく、徳のない魂は、
そこでは導かれることができずに、
それらの神々は過ぎ去っていってしまいます。

そして、次に訪れる何日間では、今度は、恐怖の神々が現れます。
ここでは、優しい平和の神々と違って、
神々はすごい形相で現れ、恐怖で私たちを脅しつけながらも、
平和の神々と同様に、私たちを苦しみの輪廻から解放し、
浄土へ導こうとしてくれます。

ただ、ほとんどの魂は、それでも導かれることなく、
もっと具体的で、リアルなヴィジョンが現れてくる
次のバルドーへと進んでいき、
そうして次の生での肉体を持ち、
輪廻を繰り返すことになると言われています。


そして、ここで登場する平和と恐怖の神々は、
それぞれが同じ神であり、それぞれが
平和と恐怖の二つの顔を持って現れると言われます。

ちなみに平和の神として現れるのは、五仏と呼ばれている、
ラトナサンババ(宝生如来)、アクショブヤ(阿しゅく如来)、
アミターバ(阿弥陀如来)、アモガシッディ(不空成就如来)、
ヴァイローチャナ(大日如来)の神々が、
菩薩と呼ばれる従者をそれぞれ引き連れて、
順番に現れてくるそうです。

そして、その平和の五仏の神々が通り過ぎてしまうと、
今度はそれぞれが、ヘルカと呼ばれる恐怖の神々へと変容して、
別の形で私たちを導こうとされるそうです。


バルドーは、生を終えた魂の誰もが経験をすると言われますが、
しかし、肉体を持っていない状態であるので、
すべてが、その魂の心が作り出した幻影だとも言われます。

平和の神々と恐怖の神々も、同様に私たちの心が作り出した
幻影であると言うわけですが、
それは、私たちの心の中にある、
光と影の部分の投影のようにも感じたのです。

もちろん、恐怖の神々の後に訪れる
具体的でリアルなヴィジョンがともなったバルドーも、
すべてが私たちの心が作り出した幻影であることに
違いはありません。

ただ、このときには、光と影の様相は、
今の私たちの心と同じように、もっと粗雑で複雑になり、
いろんなことが難しく絡み合ってきているはずです。

そして、私たちは、その複雑な心の表れによって、
その心の状態に合った肉体へと意識が飛び込み、
このリアルな現実の世界へと転生することになります。


そして私は、そんな恐怖の神々が大好きだったりします。

恐怖の神々は、優しく美しい天使さんや、
平和な神々のみが好きな人たちには、
理解されないことも多かったりして、
そんな話をすると、ときおり寂しい思いをすることもあったりです。

でも、恐怖の神々は、この世界での苦しみの中にさえも、
大いなる存在からの愛があふれていることを教えてくれます。

そして、どんなことにも意味があることを、教えてくれます。


そんな恐怖の神々のことは、ずっと前から書きたかったことでした。

でも、まだまだ、書きたいことが書けていないので
また、機会があったら、仏教の神々の話を
私なりに書いていけたらいいなと思います。


明日はとても大切なことがある日。
その前に、大好きな神々の話を書く機会を与えられたことを
心から感謝します。




ここまで読んでいただいてありがとうございます♪
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