虹色の空~Nijiiro no Kuu~

箱根仙石原でオーラソーマと呼ばれるカラーセラピーの自宅サロンを開いています

私は誰か

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ここ最近、バタバタしていたせいもあって、
ちょっと心がヘロヘロ気味でした。

でも、そんなとき、心の中にフッと
『私は誰か』
という言葉が浮かび上がってきたとき、
何故か、ウツウツ、ヘトヘトの心が
すっと晴れてきたんです。

なんでだろ。

そういえば、『私は誰か』という瞑想法を残した人に
「ラマナ・マハルシ」という人がいたなーと思い、
ちょっと調べて見ると、こんなステキな言葉が。


あなたの本性(真我)は、
たとえば映画のスクリーンのようなものである。
スクリーンのなかでは、いろいろな物語があり、
アクションがあり、よろこびがあり、悲しみがある。
そこでは、映画(人生)がおこなわれている。
それはたえず変化している。
そして、あなたはその映画(人生)が自分だと思い、映画と自分を同一化し、
よろこびと苦しみというサムサーラ(輪廻)のなかで、苦しむのである。

しかし、あなたの本性(真我)は映画ではなく、
その映画が映し出されているスクリーンのようなものだ。
映画は変化し続けるが、映像がどのように動いていっても、
スクリーンは白い幕でありつづける。
それはなにものにも影響をうけない。
その白いスクリーンが映画の本源であり、
私というものの周辺で起こりつづける
さまざまなドキュメントは映し出される映画のようなものなのだ。

私の本性(真我)を知る(悟る)ためには、動きつづけるものの後ろで、
けっして動かないものを、探し出すことが必要だ。

しかし、あなたはそれを作りだす必要はない。
なぜなら、それはもうすでに、いま・ここ、にあるからだ。

あらゆる人は、それがあまりにも当たり前のものであるがゆえに、見過ごしている。
それを再発見する方法は、見すごしている元に戻っていくことである。



この言葉、本当に今、私が必要としていたものでした。

『私の本性(真我)を知る(悟る)ためには、動きつづけるものの後ろで、
けっして動かないものを、探し出すことが必要だ。』

いろんなことがあって、いろいろな人との心の行き違いがあって、
そんなことに対しても、動かない私の本性(真我)を探し続ける。

いや、そんな風に心が揺れてしまうときだからこそ、
その心の揺れを自分とは思わず、
その奥に隠れている自分の本性(真我)へとたどりつくこと。


ラマナ・マハルシ氏の本は、今までノーチェックだったのですが、
これを機会に、読んでみたいと思います。



P.S.
写真は大涌谷から見た風景です。
手前に見える湖が芦ノ湖、その奥に見えるのが駿河湾になります。



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