虹色の空~Nijiiro no Kuu~

箱根仙石原でオーラソーマと呼ばれるカラーセラピーの自宅サロンを開いています

新しい時代へ向かっての意識の統合




今回の大きな変容のとき、いったい私たちに何が求められてくるのか。
そんなことに意識を合わせてみると、『統合』という言葉が感じられてきます。

相反する二つのものの統合。

古いものと新しいもの、男性性と女性性、白と黒、動と静、直観と論理、
天と地、陰と陽、光と影、善と悪、無と有、…、等々。

相反する二つのものは、とかく対立するもの。
しかし、そんな対立する二つのエネルギーが統合を果たしたとき、
そこには、今までにはなかった、新しい『創造』のエネルギーが生み出されます。


この相反するものの統合の中で、もっとも理解しにくいと感じることのひとつに、
『善と悪』の統合というものあります。

これについては、チベットに古くから伝わっているバルドの教えの中に、
ヒントがあるようにも感じています。

バルドとは、この物質世界に生きているものが、その肉体から去り、
次の生へと移行するまでの中間状態のことを言います。

生が尽きるとき、あらゆる人のうちに、チュウニー・バルドがはじまる。
肉体から解き放たれた意識に、さまざまなヴィジョンが、光となって出現する。
このヴィジョンは心の汚染からも自由で、苦痛や苦しみからも解放されている。
心の本性が純粋なヴィジョンとなって自ら立ちあらわれてくるのだから、
それに怖れや疑問を抱いてはいけないのだ。

三万年の死の教え―チベット『死者の書』の世界 (角川文庫ソフィア) より


そして、チュウニー・バルド(心の本性のバルド)は、次のように続いていきます。

生命システムを構成している物質元素とその組織が、
死の現象とともに解体を起こし始めるとき、
心の本性はそこから自由になり、さまざま光のヴィジョンを、
自分の中から放射しはじめる。

そこでは男性原理と女性原理が結合され、
男性原理の菩薩と女性原理の菩薩が結合され、
そのひとつひとつの中に、すべてのマンダラが完成されている。


ここでは、私たちの肉体が死とともに解体を始めたときの様子が書かれています。

私たちの「魂」と呼ばれるものは、この肉体から自由になったとき、
私たち自身から、さまざまな光のヴィジョンを放射すると言っています。

そして、その光のヴィジョンは、私たちに、
私たちの中にある男性原理と女性原理の統合の象徴として、
男性仏と女性仏の合体仏が次々に現れ、
私たちを浄土へと導こうとすると言われています。

生きている人間の体の中で、心臓のチャクラには
静かでおだやかな波動のパターンが活動をおこなっている。
「心の本性」に内蔵されているエネルギーが、心臓のチャクラの部分では、
静寂の神という波動をしめすのです。
ところが、この同じエネルギーが神経線を通って、大脳に運ばれると、
そこで破壊的な力をおびた「憤怒のパターン」に姿を変えるというのです。
ですから、静寂の神々も憤怒の神々も、本性は同じもの、【略】。


私たちがもともと持つエネルギーが心臓のチャクラにあるとき、
それは、静かで穏やかな静寂の神として私たちの前に姿を現すと言います。

しかし、その同じエネルギーが大脳に運ばれたときに、
恐ろしい姿をした憤怒の神へと変貌するとされるのです。

「神々の姿におびえてはいけない。
とりわけ、憤怒尊の姿におびえてはいけない。
それは、もともとのあなたの心の本性の、真実の姿であることを、理解するのです。」



バルドでは、そこに立ち現れるすべてのヴィジョンが
もともと自分の中に存在していたものを投影して見ているに過ぎないと言われます。

そして、そのことは、この現実と言われている世界でも
同じなのではないかと感じるのです。

自分自身がその対象を悪としてみているとき、
もしかしたら、それは自分の意識の中にもともと持っている
悪と感じるような同じ要素のものを、
その対象に投影して見ているに過ぎないのかもしれません。

そして、バルドの中では、一見すれば私たちを脅かす存在に見える憤怒の神々は、
私たちの魂を苦しみの六道の輪廻から救い出すために
そのような姿となって私たちの前に立ちあらわれているということを
見過ごすことはできません。

そして、そのことに私たちが気づき、
自分自身の意識の投影である憤怒の神へと溶け込んで合一することが出来れば
私たちは、苦しみの世界へと生まれることはないと言われています。

このように、バルドの中では、善に見える寂静の神も
いっけんすると悪に見える憤怒尊も、
そのすべては、もともと自分自身の内側に存在していたものが
たんに形を変えて表れたに過ぎないということを理解する必要性があるわけです。

そして、それは、バルドだけではなく、この肉体を持った
現実と呼ばれている世界でも同じこと。

もともと自分の内側にあったものなのだから、
その善に対して合一して、本当の自分自身に戻っていくことが大切なのです。

そして、それだけではなく、いっけんすると悪に見えることであっても、
その本質を理解し、それは自分自身の内側にあるものだと理解していくことによって、
ひとつの大きな変容は、果たされていくのかもしれません。

もっとも、それらのことは、変容というより、
本当の自分自身に戻るための脱皮、
と言ったほうがわかりやすいかもしれませんが。。。

そして、このような個々の人の内側での変容が、たくさんの人に伝播していき、
やがて社会全体の、大きく変容へとつながっていく…。
それが『統合』の意味のように感じているのです。




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