金魚の夢から教えられたこと

11081202_20120809152835.jpg


今年の春の終わり頃に、
義父に、蓮が好きだと言ったら、
睡蓮と金魚を4匹持って来てくれました。

金魚は、庭に睡蓮のために水を張ると
ボウフラがわくから、そのボウフラ対策にということでした。

金魚は、ボウフラを食べちゃうらしいんですね。

でも、金魚が4匹もいたら、もしも卵を産んで
増えてしまうことはないの?
と、心配もしたのですが、義父は、

「そんな元気はないよ」

と答えてはくれていたので、
それで、ちょっと安心はしていたのです。

だって、金魚のいる場所は、
この家を改装したときに、前に使っていた湯船を
庭に埋めた程度のものなので、
そんなにたくさんの金魚は飼えないですよね。

それに、なんといっても、
私にとってのメインは睡蓮のはずだったので。。。

にもかかわらず、数週間ほど前になると、金魚たちが
産卵をしている素振りを見せていたのでした。

そして、その後、そっと水草をあげて根っこを見てみると、
そこには、たくさんの卵がくっついていました。

あららーとは思ったけれども、それはそれで、
そのままにしておきました。

すると、それからしばらくすると、
今度は、とっても小さなメダカのようなものと、
さらに、小さな、何かわからない無数の物体が
水の表面を泳いでいるのでした。

そうなんです。
とうとう、生まれちゃったみたいなのでした。
金魚の赤ちゃんたちが。

どれくらいの数が成長するかわからないけど、
こうなってくると、金魚が成長するのも楽しみかも?
なんて、思う気持ちもちょっとはあったのですが。。。


しかし、今朝は、とっても怖い夢を見て、目が覚めたのでした。

その夢の中では、現実の家族とは違う人たちではあるのですが、
私は、家族に食べられてしまうという恐怖にさいなまれていました。

そして、その恐怖のために、家族に見つからないように、
集団の中に隠れたり、物陰に隠れたりして、生活していたのでした。


ドキドキしながら目が覚めたのですが、
目が覚めてすぐには、なんで、そんな夢を見たのか
わからなかったのでした。

そのまま、ネットを何気なく見ていたら、
金魚は、自分たちの卵や稚魚を
食べちゃうこともあるのだということを
書いているブログをみつけてしまいました。

そういえば、来たばかりの頃は、金魚たちの食欲は
ものすごく旺盛だったのに、最近は、
エサをあげても、そんなには食べなくなっていたのでした。

なんでだろうと観察をしていると、
卵があったはずの水草の根っこの所で、
金魚たちが、やたらパクパクしていることが多かったのです。

もしかしたら、あまり考えたくはないけど、
卵から孵った金魚の稚魚たちは、まだ水草の根っこの所にいて、
それを食べていたのかも。。。

そして、今朝、私が見た夢は、そんな稚魚と
なぜか意識が重なってしまって、稚魚の夢を見たのかもしれないと、
そんな思いが出てきてしまったのでした。


夢の中では、家族だった人たちは、私のことを
家族だという認識はなかったみたいでした。

もしかしたら、金魚たちも、
自分たちが食べているものが、ボウフラなのか、
自分の子供なのかという認識は何もなく、
ただ、お腹が空いたから、そこにある食べられそうなものを
食べているだけなのかもしれません。


仏教では、人間の煩悩の根本的なものを
『貪瞋癡(とんじんち)』という言葉で表しています。

いや、仏教では、魂は、地獄、餓鬼、動物、人間、阿修羅、天界という
六つの世界を、そのカルマによって流転しているというので、
人間に限らず、貪瞋癡は、
六道を流転する魂の根本的な煩悩と言えるのでしょう。

『貪瞋癡(とんじんち)』とは、貪が貪りのこと。
瞋が、瞋恚(しんい)のことで、怒りとか嫌悪。
癡は無智のことを言います。

すべての煩悩をよくよく見つめていくと、
その根本は、すべて、この三つから派生していると言われています。

今回の金魚の話では、お腹が空いたからと、
とにかく、そこにある食べられるものを食べてしまうというのが
貪りであり、
そこにあるものが、自分の子供たちだと認識できないというのが
無智ということになるのでしょう。

今までにも、私は、とくに、この無智というものは、
本当に、やっかいなものだなと、つくづく思っていました。

それは、自分自身が、この三つの煩悩の中で
何が一番強いかと考えたとき、迷うことなく、
無智!ということになるからかもしれませんが。。。

いずれにしても、たとえば、死の恐怖というものも、
死後どうなるか、本当のところはわからないという
無智から来ているようにも思えるし。。。

そこまで根本的なものでなくても、
夜道が怖いのも、周りがよく見えなくて、
何が潜んでいるかわからないからとか、
怖いと思う対象も、なぜ怖いかその恐怖を見つめてみると、
ほとんどの場合が、その対象がよくわからないから、
ということになることが多いような気がしてしまいます。

だから、恐怖の根本的なものは、
やはり、よくわからないという
無智なのかなと、よく考えたりしています。

そして、その無智というものが、今回の金魚たちのように、
自分たちにとって、大切なものが何かということすら、
まったく理解できないんだということが、
見ているだけで、とても悲しくなってしまうのでした。


それでも、元々いた4匹の金魚は、
とても仲が良い金魚たちなのです。

だから、仲間の大切さというのは、なんとなくかもしれないけど、
理解している方だとは思うのでした。

でも、ここにいる、何かわからない小さなものが、
もう少し時間が経てば、大きくなって、
自分たちの仲間となるということが、全く理解できていないんだなと。

そして、その小さな生き物たちは、
自分たちと同じように、恐怖におびえ、
悲しんで生きているということが、わからないんだなと、
そんなことを、今朝の夢から感じさせられてしまいました。

そして、それは、人間から見たら、
その金魚の無智さというか、愚かさが
とてもよく見えてしまうわけだけど、
天の住人から見たら、私たち人間のやっていることが、
私たちから見た金魚のように、
愚かな行為が本当に多いんだろうなと、
そんなことも感じたりしたのでした。


実は、さっきの怖い夢には、まだ続きがありました。

私が、いつか家族に見つかって食べられてしまうという
恐怖におびえていたとき、
どこからともなく、いつも、私を助けてくれる
守護者の方が表れたのでした。

夢の中で表れるときは、いつも、
細くて背の高い男性として表れてくれています。

だから、すぐに、その方とわかるのです。

その方は、今日は、恐怖におびえている私を
ダンスに誘ってくれました。

二人で踊っているうちに、私の感じていた恐怖が消え、
少しずつ冷静になって、さっきのことを、
ちゃんと考えなくちゃと思ったところで目が覚めたのでした。


仏教では、六道に輪廻することが苦しみだと言います。

だから、仏教で言う四大苦というのは、『生老病死』のこと。

老いること、病、死ぬことの他に、
生まれることも、苦しみのひとつと説かれています。

だから、貪瞋癡(とんじんち)という煩悩による
繋縛(けばく)から解放され、
この地獄、餓鬼、動物、人間、阿修羅、天界という
六つの苦しみの世界から離脱して、
本当の私たちに戻っていかなければならないということ。

そのことを忘れてはいけないよと、そんなことを
夢を通して、守護者の方が教えてくれたように思います。


実は、私は自分の守護者の方を呼ぶとき、
「ジェツン・○○○○」と呼んでいます。
(○○○○の部分は、まだ秘密です)

ジェツンとは、チベットの言葉で
高僧や高貴な女性などに用いられる敬称です。

守護者がとても仏教的な方なので、
守護者の方が夢に出てきたときは、
その日は、仏教的なことを考えることが多くなるみたいですね。

忘れないために、メモでした。




ここまで読んでいただいてありがとうございます。
参加中のランキングサイトです(^^)

人気ブログランキングへ  ブログランキング・にほんブログ村へ

関連記事

Comments 2

江利  

こんばんは。
すごい夢ですね。その後稚魚の対策はされましたでしょうか?

実家で金魚の産卵があると、すくって小さな水槽に移します。
やはり食べられてしまうので、増やしたい場合は別にしたほうが良いと思います。

確かに稚魚はドキドキで暮らしているわけですよね、親と一緒だと。
考えたこともなかった・・・

2012/08/09 (Thu) 20:39 | EDIT | REPLY |   

緋彌華  

>江利さん

江利さん、おはようございます。^^

稚魚は、あれから探してみたのですが、見つけられませんでした。
ときすでに遅しで、もう食べられちゃったのかなぁ。
ほんと、悲しい習性ですよね。

とくに増やしたいわけではないので、
卵を産む子の里親を捜せたらいいなとは思ってます。
元々は、もらってきたところでは、大きな魚のエサにするために
飼われていた子たちだったので、返すのも可哀想そうだしで。。。
お魚は、たいへん過ぎです。。。(>_<)

2012/08/10 (Fri) 06:08 | EDIT | REPLY |   

Leave a reply