夢の意識、意識の階層

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時々、
「どうしたら、ちゃんと夢を覚えていられることができますか。」
と、聞かれることがあります。


夢を記憶するテクニックというものはいろいろあるけど、
テクニック以前に、意識の問題というものが
とても大きいような気がします。

極端な話では、意識が物質的なものに執着しすぎたり、
現実的なことだけに、とらわれ過ぎてしまうと、
どうしても、夢を記憶するのは難しくなります。

その理由は、意識の構造というものがわかれば
理解しやすいことかもしれません。

意識には、何層も何層も段階があって、
その端っこに、この現実の世界で働く意識が、
そして、もうひとつの端っこには、
ユングの言う、集団意識とか、
ヨガで言う、アストラルの意識というものがあるとします。

実際には、アストラルの意識よりも
もっともっと、深い意識は存在していますが、
とりあえず、今日は、話がややこしくなってしまうといけないので、
アストラルの意識までを考えることにします。


そのアストラルの意識のところまで、
私たちの意識が到達することができれば、
夢は示唆夢となって、過去や未来や、自分の知らないことなども、
夢で見ることができるようになってきます。

そして、アストラルまで意識が到達していない
途中の段階で見る夢は、
いろんな出来事を正確に見ていくというよりも
自分の心の状態が断片的な夢となって
表されてくることになります。


そして、そのアストラルの意識というのは、
特別な人だけが持っているものではなくて、
本当は、誰しもが同じように存在しているものです。

ただ、意識が現実の世界だけにとらわれていると、
アストラルの意識は、
逆に、完全に眠ったままの状態になっているのです。


よく”覚醒”という言葉を耳にしますが、
アストラルの意識を目覚めさせることも
ひとつの覚醒につながってくると思います。

そして、アストラルの世界というものは、
この現実の世界よりも、何万倍も、何十万倍も広い世界なので、
アストラルの意識にまで到達したことがあったとしても、
なかなか、その世界を知ったというところまでは、とても難しくて、
すべてを知るまでには、チベットの本によく書かれているように、
本当に何生もかかるんだろうなと、つくづく感じます。


そして、そんなアストラルの意識に近づけば近づくほどに、
夢は、現実の世界以上に鮮明になってきます。

そして、眠っているときだけでなく、起きているときも、
意識が、夢と同じところにあれば、
その夢を記憶していることができると、
いつも、そんな風に感じています。


よく、何か夢を見たという感じはあるけど、
目が覚めたとたんに忘れてしまったとか、
目が覚めたときは覚えていたんだけど、
起きて何かをしたら忘れてしまったというのは、
眠っているときと、起きているときの
自分の意識がいる階層が違うからだと感じます。

眠っているときは、アストラルに近い方の階層にいても、
起きてしまうと、現実の世界の意識になって、
その階層の違いが広がれば広がるほどに、
夢を記憶しにくい状態が訪れるようです。


それは、大人に比べると、
子供の方がたくさんの夢を見るということでも理解できます。

私も子供のときに経験がありましたが、
中には、身体は現実の世界で動いているのに、
そのまま夢を見ている、という子までいます。

それは、やはり、子供はまだまだ
現実の世界に、意識が縛られていないから、
夢の世界と現実の世界で、
意識が自由に行き来しているからですよね。

大人になると、どうしても生きていくために
仕事はしないといけないし、
他にもいろんなしがらみがあって、
現実の世界に、意識がしばられてしまうため、
子供時代に比べると、夢を記憶することが
できにくくなってしまうようです。

そこで、意識だけのことで言うならば、
夢を記憶するためには、
物質は、最低限のことに留める、ということは、
とても大切な要素になってきます。

それは、単純に飲食に関しても同じです。
食べ過ぎ、飲み過ぎは、夢が記憶しにくくなります。

これは、夢だけでなく、瞑想もそうですよね。
お腹いっぱいでは、良い瞑想はできないですから。

もちろん、きちんと夢を見るということは
それが瞑想につながってくることだから
とうぜん、要素は同じことですけども。



と、今日は、なんとなく気が向いたので、
夢のことについて、あまり考えないで、
つらつらと書いてみました。

そのうち、いろんなことが言葉としてまとまったら、
意識の階層について、
カバラの生命の樹や、ヨガの世界観、
そして、チベット仏教の世界観などと
照らし合わせて書けたらいいなと思っています。

西洋と東洋で、遠く離れているのに、
これらは、本質的に、
とても似ている部分があると感じてしまうんですよね。

きっと、太古の昔には、同じものだったんじゃないかと
そんな風にも、いつも思っているくらいです。

それが、人と人の距離が離れていくに従い、
それを解釈する人によって、違いが出てきたに過ぎないものだと。

そして、それらはきっと、
またひとつに戻るときが来るのではないかと
そんなことを考えているときもあります。


ということで、そのうちいつかに続きます。





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