ありのままでいること

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ずっとブログをサボっていたら広告が出てしまいました。
ということで、慌てての更新です。


最近、時々考えていることがあります。
それは、物事をありのままに見るためには、
自分の中にある、いわゆる欲と言われるものの存在が
本当に邪魔になっているんだなということです。

その欲というのは、物欲や金銭欲はもちろん、権力欲とか支配欲、
それからプライドも含めたすべての欲をさします。

それは自分の見たくないものに対しては、
自分でフィルターをかけて
対象を見てしまうこととも言えそうです。

たとえば、可愛いところでは、
「あばたもえくぼ」という言葉にもあるように
自分が好きな人に対しては、あばたさえもえくぼに見えてしまうとか。

そう見えているときは、幸せを感じているかもしれないけど、
いつかは、あばたはあばたということに気づくときは来るだろうし、
あばたをえくぼと見て愛されるよりも
あばたはあばたと理解した上で愛された方が落ち着きを感じるようにも思います。
逆に、あばたはあばたのまま愛したいとも思いますしね。

他にも、自分は他とは違うんだというようなプライドがあった場合、
本当にそれだけの実力がある場合はいいけど、
それだけの力がないのに虚勢を張ってしまうと
ものごとは、どんどん歪んでいってしまうようにも思います。

そのわかりやすい例が、アンデルセン童話のひとつである
「裸の王様」かな。
自分はバカだと思われたくないというプライドが
見えないものは見えないと言葉にする勇気を奪ってしまったというお話。

ただ、この裸の王様の場合は、本当は誰の目にも
王様の服が見えないことがハッキリしていたから、まだいいけど、
もっと複雑な現実では、自分は王様の服は見えていると
思い込んでしまうことも少なくないように感じます。
(もっとも、服が誰の目にも見えていないから、
王様は本当に恥ずかしいのですが。。。)

そんなことをいろいろと思い描いていると、
ありのままでいることって、
本当はとても難しいなのかなと思えてしまったりも。
同様に、ありのままに物事を見つめていくことも
簡単なことではありませんよね。

でも、ありのままの自分でいるためにも、
自分の中にある、よけいな欲をひとつずつ、ひとつずつ、
手放していきたいなと、そんな風に思うのでした。

そのためにも、供養の瞑想は続けていきたいですね。
供養の瞑想については、こちらに書いてあります。
>>供養の瞑想の意味について




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