虹色の空~Nijiiro no Kuu~

箱根仙石原でオーラソーマと呼ばれるカラーセラピーの自宅サロンを開いています

自由の定義

13110804.jpg


ほんの少し前に、バースナンバーが33の友人から
久しぶりの連絡をいただきました。
友人といっても、面識はあるものの、別れ際にお互いに連絡先を
聞いたりしなかったので、それっきりになっていた人だったのですが。

それが、偶然にこのブログを見つけてくれて、
それで連絡をいただいたという感じでした。

お互いに連絡先を聞かなかったこと、
にもかかわらず、たまたま偶然にブログを見つけてくれて
すぐに連絡をくれたことも、なんとなくB33の
ドルフィンっぽいような印象を受けてしまいます。

これらの出来事が、大天使イスラフェルのことを
意識していた矢先のことだったので
いつも以上に不思議な流れというか、結びつきというか、
そんなものを感じてしまった出来事でした。

というのは、前回も書きましたが、大天使イスラフェルは
12月14日にオーラソーマで生まれた新しいボトルの名前で、
その色が、B33のドルフィンと上下が逆の同じ色を持つボトルだから
そんな風に感じたわけです。

ということで、私の中でのドルフィンのイメージの中には
『自由』というテーマが大きく存在しています。

私自身、幼い頃から『自由』という言葉にとても憧れがあったし、
どうしたら自由を得られるんだろうと、
そんなことをしょっちゅう考えていました。
でも、若かった頃の私の考えていた自由は、
本当の自由ではなかったのですね。

とても若かった頃、好きなときに好きなことができること、
行きたいときに、行きたいところにいけること、
そんなことが自由なのだと考えていました。

いま思うと、本当に浅い考えで、恥ずかしくさえ思いますが。。。

そんな自由が、本当の自由ではないと気づいてきたのは、
社会に出て働き始めてからだったと思います。
とくに放浪癖が強かった私にとって、
行きたいときに行きたいところに行くことに強い憧れを持っていましたが、
実際に行動するためには、お金を貯めることが必須で
そのために必死に仕事をこなさなければなりません。
自由を得るために一生懸命に仕事をしているはずなのに、
当たり前なことですが、それにものすごく不自由を感じてしまう。
そんなことをしているうちに、好きなことを好きにできることだけが
本当の自由と言えるのだろうかという疑問がふくれあがってくるのでした。

そんな頃に、いろんな精神世界の本や、宗教書の類いのものを
読みあさるようになったのですが、そうしているうちに、
私の中での『自由』の定義が大きく変わってきたのでした。

自分のやりたいことを好きにやれることが自由なのではなく、
自分の内側にある、いろんなとらわれを手放していった先に、
本当の自由が存在していることに気づくことができたのです。

たとえば、私の例でいけば、
どこどこに行くことが私にとっての喜びであり、自由であると考えていると、
それができなければ、喜びも自由も感じることができない。
また、そのことが達成されたとしても、
その瞬間は喜びを感じることができるけれど、
しばらくすると、あんなに来たかったはずの場所に居続けたとしても、
最初に感じたはずの喜びは少しずつ薄れていき、
今度はまた別の知らないところへと行きたくなってしまう。
そしてまた、その新たな目的のために、とても不自由な生活を強いられてしまう。

そういう循環をよくよく見つめてみると、それは、自由という言葉のトリックの中に
没入しているに過ぎないのではないかということに気づきはじめてきたのでした。
それは、自由という幻想を求めているだけで、
そんなとらわれの中には、どこにも自由は存在しないのではないかと、
そんな風なことに気づいていったのでした。

そうして、今度は、自分の中に存在している
いわゆる『エゴ』と呼ばれているものを手放していくことを
始めることにしたのです。

それは、いままでのような外側に向かっていく旅ではなく、
今度は、自分自身のさらなる内側へと向かっていく旅が
始まった時とも言えるのではないかと思っています。

それは、どこかへ行って喜びを感じるのではなく、
それにとらわれることがなければ
どこにいても、どんなときでも、喜びを感じることができる。

そして、その喜びは、自分自身が元々持っている喜びであるから、
そこにとどまることができてさえいれば、
その喜びはいつでも感じることができるし、消えることも無い。

それは、ほとんどの場合が、瞑想状態のときに訪れるものですが、
それこそが、本当の自由の入り口ではないかと感じています。


ここ最近、私の周りでの流れが、
これまではあまり感じたことがなかったくらいに
私の思い通りには事が運ばない出来事が起こったりしています。

でも、そんな状況も、『私がやりたいこと』にとらわれることがなければ、
『私がやるべき事』を知らせるためにそんな流れが起こっているのだと、
素直に受け取れることができるような気がします。

そうして、さらに、そのことを見つめていくことで、
自分のやるべきことが具体的に見えてくるようにも感じています。

そんなことで、来年はまた少し、違った年になるような気もしています。


では、皆様、良いお年をお迎えください。




ここまで読んでいただいてありがとうございます。
参加中のランキングサイトです。

人気ブログランキングへ  ブログランキング・にほんブログ村へ




関連記事

0 Comments

Add your comment