ヨガと夢の修行

もう何年も前の話になるのですけど
ほとんど一日中を、そしてそれを何日も
ヨガの行法に費やしていたときがありました。

その途中に、私はある夢をみました。

それは、そのとき私が飼っていた愛するネコが
見知らぬとても凶暴なネコ三匹から猛攻撃を受けているのに
反撃もできずに苦しんでいるというものでした。
そのとき私は、私の愛するネコを助けるために
凶暴なネコ三匹を手ではたいて追い返そうとしたのですが
凶暴なネコたちは逃げていくどころがさらに攻撃を強くしてくるので
私の愛するネコも私も傷だらけになってきました。
そのために、しだいに私の追い払い方も過激さを増して
とうとう凶暴なネコたちを傷つけることになってしまったという
とてもおぞましい夢でした。

ちょうど、その夢をみた日に、ヨガの先生から
「夢見の状態は変わってきたか」
と聞かれたので、その夢の話をしたところ、先生は
「それはいけないね、自分の愛する者であっても
自身の悪業を落としているんだ。
それは静かに見守ってあげなくてはいけない。」
と言われました。

これは、普通ではとても理解しにくいことだと思うので
簡単な説明を付け加えておきます。
それは、すべての魂は自らのカルマ(日本語では業)によって
輪廻を繰り返しているという宇宙観が前提にあります。
悪いことや辛い出来事が起こっているときというのは
自分の悪いカルマ(業)を落とす最大のチャンスが訪れているという
解釈ができるわけです。
そのため、せっかく相手がカルマの浄化を行っているときに
それを邪魔する行為はその魂にとってマイナスにしかならないという意味で
先生はこのような言葉を発することになったわけです。
もちろん、夢の話ですし…。

しかし、そのときの私は、そんな宇宙観は
頭ではわかっていても、心が納得していませんでした。
なので
「そんなことはできるはずがありません!!!」
と、かなり強い口調で反発してしまいました。
すると、先生は落ち着いた、そしてとても優しい口調で

「では、なぜ、自分が盾になって愛するネコを守ってやれないんだ?
両手を広げて愛するネコの前に立ちふさがれば
自分だけは傷つくけれども、誰も傷つけなくてすむはずではないのか?」

と言われました。
その言葉を聞いた瞬間の衝撃はいまでも忘れることができません。
私はネコを助けたいという気持ちもあるにはあったのですが
それ以上に怖かったのです。
だから攻撃してくる凶暴なネコを私も攻撃してしまったのです。

それから、私の夢の修行は本格的に変わってきました。
昼間はヨガの行法を行い、夜は夢の修行です。

そんなことを意識するようになってきたせいか
それから何日も同じような夢が続くようになりました。
ある日はピラニアがたくさん住んでいる川の中に入って
何匹ものピラニアに体を食いちぎられるという夢であったり、
ある日は数匹の猛獣の私自身が餌になるという夢であったり…。

課題は夢の中で私自身の肉体に対する執着心を落として
恐怖心を克服するということでした。
同時に生きとし生けるものに対する慈悲心も培う
ということもありました。

これはチベットにあるチュウの瞑想法に似ていたかもしれません。
チュウの瞑想とは自分の肉体を切り刻んで
仏陀や仏に供養する観想を行うというものです。
これを夢の次元で行っていたというか…。
供養の対象は夢の中では仏陀や仏ではありませんでしたが
その夢の中で自分の肉体が猛獣に食べられているという意識から
仏陀方に供養して、自分の恐怖心を落とし
カルマを落としているんだという気持ちに切り替えることができたときは
不思議なことに自分が食べられている夢をみているはずなのに
恐怖心はまったく起こらなくなってきたのです。

同時に、本当に他の魂を愛するという気持ちは
自分自身を守りたいという気持ちがあっては生まれてこないんだ
ということも、しだいに理解できるようになってきました。


と、ずいぶん、長くなってしまいました。
ほんとは、ここから今回体調を崩したときに
私の心の働きの中に、このとき行った修行がすべて
台無しになるような心の働きが生まれていたために
体調も崩れたということを書きたかったのですけど
続きは、また後日に書くことにします。
なんだか、今日はいいところで終わっているので
私が聖者のように感じてしまいそうなんですけど
ほんとは、ぜんぜんそんなことはないので誤解のないように…。
関連記事

Comments 6

優衣  

ヨガですか・・
やったことはないのですが、心が洗われるイメージがありますww

2005/12/07 (Wed) 10:25 | EDIT | REPLY |   

silver-eagle  

実は本屋で「チベット密教の本」を購入してきてたので、実にタイムリーなお話です^^「チュウ」のことも書いてあります。
この話を読んで、手塚治虫の漫画「ブッタ」の中に、すべての人の未来が見える少年の「虎に我が身を与える」についての話を思い出しました。現場を見たゴータマ・シッダルタが泣き叫び、その後、どんな苦行をも厭わなくなり、やがて中道を悟り、菩提樹の下で大悟を得る。
「業・カルマ」という問題は、立場により、善悪とも「積む、解消する」わけです。でも自分の意志で相手に食べさせると、相手は命を奪った「悪業」にはならなくなるのかな?難しいですね・・・考察してみます。
himikaさまが、夢での修行の中で、一番近い自分の肉体も、自分の物ではない(諸法無我)になり、一種の空(くう)の世界に解けていかれたような様子を感じました。

himikaさま、リンクの件、了承しました。
今後ともよろしくです☆

2005/12/07 (Wed) 10:26 | EDIT | REPLY |   

緋彌華(himika)  

>優衣さん
ご訪問、ありがとうございます♪
ヨガといっても、いま現在、流行ってるヨガとは
ちょっと違うかもしれないです。
形より、心のプロセスを大切にしていけたらいいなと思ってます♪

2005/12/07 (Wed) 10:26 | EDIT | REPLY |   

緋彌華(himika)  

>silver-eagle さん
タイムリーなお話だったなんて、私としてもうれしいです♪
「業・カルマ」についての考察は私なりにもしてみたのですが
長くなるので、新しい記事で書いてみました。
もしよかったら、そちらの方にも目を通してもらえるとうれしいです。

あのときの夢の中で、きちんと気持ちの上でも供養できたときは
空の世界とまでは恐れ多くて決して言えないのですけど
ある種の至福感というか、なにもしなくても大きな満足感を
感じていることができていたように思います。
でも私にとっての課題は、その気持ちを持続させるということのようです。
実生活の中で、同じ気持ちを保つのは、ほんとに難しいです。(T.T)

リンク、ありがとうございます。こちらこそ、よろしくお願いします。

2005/12/07 (Wed) 10:26 | EDIT | REPLY |   

sorairobook  

かばうことで、相手がカルマの浄化をしそこねてしまうかもしれない。。。
というのは、何となくわかります。
かばうことで、新たなカルマのようなものを
自分がかぶってしまったという経験があったので。。。
最近、それを終わらせることができました。
いろんな意味で、すっきりしています。
浄化って、精神的な面から起きて、
その後、体も楽になるのかもしれないなと感じます。

2005/12/07 (Wed) 10:27 | EDIT | REPLY |   

緋彌華(himika)  

ふうさん、おかえりなさい♪
相手のカルマをかぶるったり受けるたりするのは、
ほんとにたいへんな事だと思います。
タイミングを間違うと、相手にカルマの深さを理解してもらえなくなったり
などの、マイナスに働くこともあるから、ほんとに難しいです。
なにはともあれ、浄化を終わらせることができたとのこと、
お疲れさまでした。
それで、思い過ごしただったらいいのですが
もしも、肉体的な方面の浄化が遅れているとしたら
肉体的な行法を取りいれたらいい場合もありますよ。
たとえばヨガの体操であるアーサナとか、または呼吸法とか、
あと、とても簡単なことではウオーキングもすごく効果的です。
お釈迦様も、朝と夕方に30分ずつ歩く瞑想をしていたと
インドに行ったときに教えてもらいました。
健康にいいだけでなく、ナーディー(気道)を浄化させる効果もあるそうです。
ふうさん自身、ブログを拝見したら、山を歩きたいとのことだったので
プラーナのきれいなところで、さらに浄化の促進を頑張ってくださいね♪

2005/12/07 (Wed) 10:27 | EDIT | REPLY |   

Leave a reply